
くれていましたので大いに助かりました。それから一年間ぐらい検査で入退院を四回ぐらいしました。その結果、体の機能が発育不良という診断が出ました。外見は完全に見えるが、おなかにいる問に、何らかのトラブルがあり障害をもって生まれて来たのではないかと、いうことでした。
あらゆる検査を受けたようです。それは、壮絶なものでした。脳に空気を入れその流れを調べるものです。病室に帰って来たときの顔は倍にも膨れ上がっていました。祖母は顔を見るなり、「何をしてくれるのだ」と怒ったくらいでした。昭和四十四年から四十五年ごろのことです。お医者さんとしたら格好の研究材料ではなかったのではないでしょうか。
医療費は有料の時代です。一部は、先生たちの研究費から出ていたものもありました。わずかな貯金も使い果たしましたが、回りの協力もあり、なんとか借金をせず切り抜けてきました。今から考えてもよくやって来たなと自分に感心しています。
首は、生後一年で座り、一人で歩けるようになったのは、三歳でした。弟が生まれたことによって大変刺激を受けたようです。伝い歩きはしていましたが、下が独り歩きするのを見て同じくらいに一人で歩けるようになったのです。まだ首が座っていない時期に担当医から、「よく生きて三歳までですよ」と言われたときが、私にとって一番悲しかったような気がします。しかし、同室で入院していた仲間は、ほとんどこの世にいません。
四歳の夏、ハシカが内向して肺炎になり、生死をさまよったのを最後に大きな病気もせず過ごしてきました。それは大きな生命力をもって生まれてきてくれたお陰だと思っております。
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